※あくまでも個人の感想です

「お前金持ちじゃん」

 

と言われることが最近増えています。たしかに留学もさせてもらったし一人暮らしの資金も家賃も全て親持ち、バイトをしていますが未だにお小遣いは頂いています。常に不自由しない暮らしをさせてもらっている自覚はあります。それは大変な事実であり感謝の気持ちでいっぱいです。あたし「は」そうです。

 

で、お前になんの関係がある?

 

親が金持ちであるからといってそれがお前と構築する関係に何か影響がありますかという問いです。確かに裕福な家庭に生まれた子供は理想が高いだとか性格がひん曲がるだとか、偏見がつきがちです。まあいわば「何もしなくても金があるから生きていける」ってことですね。日本の一般世論ではそれを忌み嫌うのが大半とされてます、少なくともあたしはそう感じます。それが悪いとは言ってませんが、ちなみにその「忌み嫌う衆」は少なくとも逆に貧困層のことを「可哀想」だとか言って見下して自分はそれよりマシって思って生きるのってだいぶダサくないですか?

 

「なにもしない」がだめ!って思うのは日本の特色では、、?!

 

『労働神事説』が日本の概ねになっていることが大問題だとあたしはこの小さな世界で訴えたい!!

 

なにか「する」から偉い、すごい、尊い

 

こういう社会構図ができているから、裕福な家庭に生まれた子達をひん曲がった目で見て湾曲解釈で「なにもしてないじゃん」となるのではないですか?

 

そんなの…わかんないじゃん…!!!!!

めちゃくちゃボランティアしてるかもよ?!お金があるからって努力しなくていいわけじゃないんじゃないの??!!

 

そんなこと言ったら

 

なんもしたくなーーい!

 

日もあるだろうが!お仕事行きたくないよね?!学校行きたくないよね?!遊びドタキャンしたくなるよね?!雨だったらもう無理だねベッドから動きたくもないねUberしちゃうよね?!??!

 

ほら〜〜なんもしたくないならしなきゃいいのよ、「しない」こともすごいことなのよ

 

「する」もすごいけど、「しない」も大事です。それを認めるべきですよ、自分にも他人にも。時々休みましょうねみなさん

 

 

 

と、夏休みぐうたら生活中、1年春学期から落単したワタクシがベッドの上から申しております。

 

ジャックラカンへ、敬意を込めて

若干1年4ヶ月半ぶりくらいにはてなブログを開いて昔のあたしの思考を振り返ってみたわけなんですけど、

 

え〜!お前よく考えてんな!

 

って言ってやりたい気持ちでいっぱいになりました。

 

今あたしは留学した高校を卒業して大学受かってバイトしながら彼氏と半同棲して生きてるわけだけど、だいぶ心の平穏が保たれていると同時にストレスが溜まってもどうでもいいやと処理できるまでには成長したと思ってはいます(ストレスを抱える癖は相変わらずですが)。

 

特に「遺書」なんかはよく書けたなとしか思えなくて、そう思えば今あたしってだいぶパッションで生きてるのかもしれない。なんでもかんでも気合いさえあればなんとかなるみたいな思考になってきました。

 

いうなればこれは完全に、「先のことを考えて今を乗り切る」型彼氏の影響です。

 

そう!あたしって人に影響されやすいんだな!

 

「わたし」から「あたし」表記にしたのも誰かの影響だったし、服も誰かの影響受けて変えてたし、たばこも人の影響で変えたし、うんぬんかんぬん

 

人は1人では生きてけないんだなってこういうことですよね、言うじゃないですか、「諸行無常」って。「生きること」すなわち「変わること」なんですよね。

 

比較対象ないしサンプルがなければそこに「変化」に対する想いって生じなくて。だからあたし、たくさん影響されてそんな人間社会の中で自分確立する「今」に幸せ感じてるんだと思います。人間社会なんて相互関係の蛸足なので一生変わるし一生そこでもがく未来が見えますね。

 

でも怖いのって

 

なーーーーんにもなれない時。

 

「上には上がいる」って言葉があるように、「誰か」がいることであたしは「井の中の蛙」になるわけです。例えばあたしのすぐ隣に「できた人間」がいるわけなんですが、そりゃもう、あたしは2桁の年数程海外いなければ、理系みたいな頭の回転もなければ、要領もよくなければ、社会経験も積めてないし、そんな世界見てきてないし、、だいぶな頻度で脳内サミットでネガキャン祭が開かれてしまい、自分を惨めだと蔑んでしまう羽目になります。

 

#自分惨め2021

 

惨めだー!!!って思ってはどうにか這い上がってやろうと立ち直る、最高だな自分。

 

結局比較対象があってこその自分で、「誰か」がいないとあたしって確立できないんです。鏡像段階論みたいなものですね。バブバブオギャ!!

 

だから、あたしの周りであたしに良くも悪くも影響与えてくれてあたしを成り立たせてくれる「人間たち」には感謝します。

 

3ヶ月後には成人します、どうぞこれからもよろしくお願い致します。

 

 

ニガツイッピ 哲学のバブみ

建設之薦

何に対してもチョロすぎるあたしなんですが、チョロすぎるが故追いかける方が割かし好きだったりするわけで、最近思ったのは

 

「あたしばっかり〇〇」みたいな状況が多すぎる。

 

要するに気持ちの一方通行です、ペイバックなんでありゃしない。あたしがいくら頑張っても相手方から何も返ってこない。それが分かっててもたまに言われる褒め言葉だったりなんだりでコロッと我慢できちゃうんです地雷すぎ自分!

 

もう少し軽く考えられたらいいなって思うので地雷女受付所から誰か派遣してもらえないかなあ……

言及

なんでもっと人を頼らないんだよ

 

ストレスを抱えるなってよく言われるので、ここ一週間は人にどんどん言うようにしてみました。そうしたらあたしってこんなことも我慢出来ないんかな?って思うようになってしまいました。やっぱり抱え込んで最終的に1人でめそめそするのがあたしには1番のストレス解消法なのかも、

 

一旦休んでまた頑張れればいいじゃん

 

あたしだって休む日はあります。めそめそした次の日は学校がない限り休みます。でもあたしってきもちわるくてもはや「休む」を頑張ってる感覚に陥っちゃって結局それがストレス、最近はもう死ななければ「頑張ってる」かなって思うようにしました。

 

応援してるよ

 

あたしって環境に恵まれてたんだなってついこないだ実感しました。

あと、その恵まれた環境を自らぶん投げてることにも気づきました。

 

あたしで良ければ聞くよ

 

嬉しいことに相談を受けることがまあまああるので、「信用されてる」人数は多いみたいです。でも「信用してる」人数は限りなく少ない。

 

自分より好きな人の幸せだけど嫌いな人の不幸はとても嬉しい、そんなクズみたいな考え方してますが、好きな人の幸せを願うのはあたしの本質だと思っていて、

 

それを願ってうんうんって話聞いてたら、周りには誰もいなくなってました。

 

彼氏が出来た、あたしのこと必要なくなった、お前国外にいるじゃんもう慣れたし別にもういい、 被害妄想も少なからず含められているとは思いますがあたしには今自分のことを話せる人がほぼいないんです。

 

そんなの1人いればいいだろって言う人もいるかもしれないけどあたしは幸せ気分に水を指したくないし、大変な思いしてるところに乗っかりたくない、もしかしたらその人はあたしのこと既に嫌いかもとか考えてしまったが最後、全部自分で抱えるようになります。

 

自分が嫌いで嫌いで何が良くて何がダメなのかも分からなくなって自分を責めて自分で爆発してって何から何まで10割を自分でサイクルする性格で周りに人がいなくなるのは普通なのに友達でいてくれる人達には感謝です。こんなぽんこつをいつもありがとう。

 

大丈夫?元気だして!泣くな〜!

 

大丈夫です。まだやれます。

どうせケロっとやり遂げちゃうんだろうな、あたし。そうだとしたらそんなに気負うこともないのかもって思いながらも気負って気負って身体崩していっぱい悩んでいつか自分見つけたらまた世界が違うのかな。

 

ああこれがティーンエイジャーってやつか、

 

無知

3ヶ月が経過しました。

 

成長しましたか?って言われたらめちゃくちゃ成長したと思います。

 

でも変わりましたか?って言われたらそうでもないのでは、と思ってしまうのです。

 

あれ?あたし何がしたくてここにいるんだっけ?

 

既視感バツグンです。これ何回も感じました、1年と少し前からくらいですね覚えてます。

 

目指すものがデカかったのか、理由を自分の気持ちとこじつけて無理やりそれっぽくしたのが原因なのか?

 

ちょくちょく見失う「自分」って結局どこにあるんでしょうね、

 

まああと2年あるし冬には休めるしもう少し頑張ってみるかあ。

 

別に戻らなければいいんです、止まってたってどこを向いてたって何考えてたって、

 

急募

小さい頃「薬」、特に「粉薬」は不味くて

できれば飲みたくなかった覚えがあります。

 

あたしはずっとシロップを飲んでいたかったです。

シロップ美味しくないですか?

 

そんなことはさておき、「おくすりのめたね」をご存知でしょうか。

これは小さい子のために作られたお薬を飲みやすくするゼリー状の飲み物です。

 

あたしはこれを1度も買ってもらえた試しがありません。

買ってとねだると自分で頑張って飲めと言われ(まあ確かにそれはわかります、)薬を飲めないと父に担ぎ挙げられ夜の空にぽい、でした。

 

思えばその頃から嫌なものは飲み込みたくなくても支えなしでそのまま体内にぶち込んでたのかも知れません。

 

そうしないともっと嫌な思いする、っていう考えがこびりついてしまったんでしょう。

 

別に飲み込む速度がどうであれ自分の中で消費できればあたしはそれでいいと思います。

飲み込みたくなくても最終的に、の話です

 

なにかに助けられて「おくすり」を飲みたいものですね